広島原爆の日
今日は朝からヘリコプター ブンブン、街に出れば、いたるところへ警察官、パトカー。警備体制がすごかった。平和公園へもどこへも行かずにさっさと帰った。それでも暑さに疲れ、人の多さに疲れ、もう一つのお仕事で神経も使ったのもあり、グッタリ疲れ、寝込んでしまった。
先週のシフトの時に読みかけた一丸先生寄贈の「被爆者の人生を支えたもの」を今日も空き時間に少し読んだ。臨床心理士の視点から書かれた本。広島にいても知っているようで知らないことがたくさんある。幸か不幸か身内に被爆者はおらず、映像からでしか被爆体験を聞く機会もなかった。私が学生の頃は、8月6日はいつも登校日で、そして平和学習をした。それはイヤだった。なぜか、と言うと、いつも、いつも、同じことをやる。またかぁ~!という印象だった。
8月6日が近づくと平和行進があって、このくそ暑いのに、よぉ~やるわぁ~!先導する警察官も大変じゃわと思っていたが、今年はなかったのだろうか?気が付かなかったのだろうか?私が研修や講習で会社にいないときに通り過ぎて行ったのだろうか?
8月6日が近づくと大音量で黒い派手な車が通りすぎる。これも、またかぁ~!うるさいのぉ~!と思っていたが、こちらも今年は気が付かなかった。通らなかったのか、私がいないときに通ったのか?よくわからない。
8月6日が近づくと、新聞やローカルニュースで急に平和についての特集が多くなる。これを見ると、またかぁ~!と思ってきたが、今年はちょっと感じ方が違う。それは、本を読んだから。被爆者にインタビューしたことが載っているんだけど、被爆者の方々の気持ちを考えると、忘れたことはないのだろうが、イヤでも思い出させられるつらいあの日、あれからの人生。自分の気持ちに蓋をして生きてこられたのだろうが、どうしようもなく悲しくなる。追体験などできるものではない。戦争は、原爆はあまりにもむごすぎる。たまたまあの日、あの時間、広島にいた。それだけなのに、どうしてその人たちが被爆して、家族を失って、何もかも失って、それでも生きてこなくてはいけなかったのか。生き残ったばっかりに、ずっとずっとつらい思いをして過ごした人、それに耐えられずに自死した人、今なお病気で苦しんでいる人、たくさん。なぜ?神様はどうして?
そんな思いを胸に過ごした8月6日。今日はバスの中で黙とうしたけど、8月9日も一人静かに黙とうしよう・・・こっそりトイレにでも行って。
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